1993年の資料・佐藤雅栄さんの「マイツールこだわり人生」を文字起こししました。

 先日、といっても1年ほど前になりますが、Mヒデさんこと佐藤雅栄さんが、うちのパンダの穴教室にお越しになったとき、「部屋の整理をしていたら、古いものがポロポロとみつかったので、あなたにやるよ」と昔のマイツールのカタログや書面の類を一式持ってこられました。
カタログは今から30年ほど前の90年代初頭のもの。マイツールがM4バージョンになった当時の新コマンド案内やテンプレート集などでした。
その頃からマイツーラーだった人には懐かしい資料なのでしょうが、私のような2000年代に入ってからマイツールを使うようになったものには、どれも初めて見る貴重なものばかり。これはかなり嬉しい資料でした。(興味のある方はパンダの穴のマイツール資料本コレクションの中にありますので、お越しになったときにでも。)

その中に混じって<マイツールこだわり人生>という原稿がありました。聞くと93年に三重県桑名のマイツールユーザー会の機関紙「はぁとうぇあ」に頼まれて、Mヒデさん本人が書かれた原稿だといいます。
逆算してみると、Mヒデさんはまだ40歳前半、今の私(49)よりまだ若いころです。
Mヒデさん曰く「おれがまだ熱かったころ」とのことで、読んでみるとなるほど確かに今より、荒々しく、舌鋒鮮やかな印象を受けます。
でもこれが、今読んでみても、おもしろい!
情報としては古いかも知れませんが、読み物としてとてもおもしろいんです。
せっかくなので、今回Mヒデさんの許可を頂いて、紙の状態からテキストデータに文字起こしして、こちらのページに掲載させていただくことになりました、

A4用紙に22枚となかなかの長文です。
これを全文読んでみようというのは、なかなかの変態マイツーラー(笑)かも知れませんが、マイツールにはこんな歴史があったんだなあと楽しんで読んでもらえれば幸いです。 
                         中島パンダ

    

左が90年「逆引きマイツール・グラフ編」、右が95年「逆引きマイツール・実践編」の著者近影のMヒデさん。この「マイツールこだわり人生」を書かれた頃と重なります。


今回Mヒデさんより頂いた90年代初頭のM4バージョンが発表された頃のマイツール資料。
パンダの穴では、マイツール関連の書籍、資料集など、いろいろコレクションしています。

※以下、1993年1月から1994年の3月にかけて、桑名マイツールユーザー会機関紙「はぁとうぇあ」に、連載されたものです。


マイツールこだわり人生(1)   

これからマイツールについて話していきたい    逆引事典の佐藤 雅栄

 マイツールM4バージョンが出たらしい?(らしいと言うのはこの原稿を打っている時点ではまだ中身を見ていないため)飯塚氏に言わせると8回目のバージョンアップになるとのこと。毎年1回はやってきていることになる。しかし、以前のようにワクワクドキドキ早く見てみたいと思わないのは何故だろう?長くマイツールと付き合い過ぎて、あまり感動しなくなってきたからかも知れない。しかし、マイツールを仕事にフルに使いこなしている人達(特にマイツールでオフコン的にビジネスしている人)は、現行バージョンの使いがっての悪さにイライラしながら待ちこがれていたことだろう。確かにファイルコントロールはやり易くなり「ナイル」や「スーパーPIPS」を意識してきたなという感じはしている。福田氏のいうユアツール指向が強くなってきたと言っても良いかも知れない。(その辺は荒川氏も認識しており、今後は新たな展開が期待できそうである)
 マイツールの3大特徴のひとつである「パラレルコマンド主義」にこだわっているユーザーの一人としては、逆引事典のあとがきでも書かせてもらったが『コマンドはことば』であり『ことばは多いほど面白い』と常々思っている。そのため、今回のバージョンアップで20個のコマンドが増えることは大歓迎である。しかし、ただABC順のマニュアルが分厚くなっていく対応だけでは、入門者や初心者の人達は戸惑うばかりである、あいうえお順になっている国語辞典だけを読んで日本語を喋りなさいと言っているようなものだからである。PIPS時代から使っているコマンドの変遷を知っているユーザーや、悪戦苦闘しながらシステムを組んでいるプロの人達にとっては、このコマンドはどんな経過で誕生したか、どんなユーザーが何をしたいために要望したのかは想像はつくが、初めてマイツールのM4に触れるユーザーにとっては覚えることが多すぎてさぞかし大変なことであろう。(その辺は荒川氏から、わざとお前の仕事のために残してあるのだと言われて、思わずありがとうございますと言ってしまう悲しい習性がサミシかったが・・・)
 別表は、マイツールを勉強しようとするときにはコマンドはレベル別に習得してほしいと、セミナー等で参考のために配布している一覧表である。この考え方は西先生のマイツール基礎33語をベースにして、全部のコマンドを体系的に自分なりに整理したものである。西式では幼稚園は基本5語となっているが、「T」コマンドを追加して6語にしたのは、ページの概念を理解するためには欠かせないためと判断したものである。小3までの33語は西式と整合性を持たせてはあるが、あとの小・中・高・大の分類はそれなりにこだわりをもってやっている。つまり、小3までに簡単な画面加工を、小6までには高度な画面加工を、中学に進んでからは多画面間のデータのやりとりを、さらに高校に進学してから大量データの複数ページ加工を段階別に完璧にマスターして、はじめて最後にそれらを横着するための処理コマンドは大学に入ってからマスターしてほしいとの願いを込めて分類してある。マイツールユーザーの話題や事例ではややもすると横着コマンド花盛りで、初心者のユーザーにいきなり教えているケースが目に付く。手離れを良くするためにはやむを得ないことかも知れないが、最近の傾向ではかなり顕著な流れを示している。いちいち画面を見ながらキーボードを叩くのはダサイご時世にまでなってきている中で、会話も満足にできないくせに詩や手紙や本を書いたらだめと頑固に言うものが一人くらい残っていてもいいだろうとの居直りの気持ちで一覧表にしてある。
 とは言っても、マイツールを『ことば』として教えるフォロー体制ができていない(つくる必要性を感じていない)現状では、使い方の流れが完全にオフコン的・表計算的・ワープロ的になっていくことは避けられない、もちろん、ひとつのコマンドだけ知っていれば十分仕事ができるという人や、必要な人材はテンキーマンだけで良いと思っている人もユーザーには多く、これはこれでいいのかも知れない。しかしマイツールはマイツール的に使うことが一番効果的であると、マイツールの世界に新しく入ってくる人たちに啓蒙し続けることや、レベルアップしていきたいユーザーのための教育体制の整備はおろそかにしてほしくないものである。
 マイツールは確かに売りにくいパソコンソフトである。ユーザー教育の必要な手離れの悪い非常に販売効率の低いソフトである。ここに山上氏が疑問に思っている何故マイツールはパソコン雑誌に載らず、パソコン業界で話題にならないか?の答えがある。パソコン業界を語るとき、まずハードメーカー・ソフトハウス・パソコンショップが三位一体となって共存共栄している中で、パソコン出版業界が足元から広告を貰いながらヨイショしていると認識しておくのが正しい見方である。この体制は日電がキュウハチ戦略を取るときに最初築き上げたもので、他のコンピュータメーカーも造反しつつも飲み込まれ、しかたなく追随していって今日の型が出来上がったのである。キュウハチ戦略とは「ハードを作る人・ソフトを創る人・それらを売る人の分業体制を確立すること。売る人は素人でも売れるようにすること。一度買った客を満足させずに継続的に他にも買い続ける気持ちにさせること。マスコミは売る人のためにのみ存在させること」などを意図的に構築したものである。こうして家電業界のような販売効率の高いキュウハチ市場が形成されることで、当然のごとくパソコン雑誌の記事も一番広告収入の多いキュウハチ関連の内容が増えて、この悪魔のサイクルの相乗効果でキュウハチが今日のガリバーの地位を勝ち取っていくのである。もっともこの構図はスポーツ業界等どんな業界にもあり、企業社会である日本全体がこうなっていると見ておくのが無難である。バブル時代は盛んに言われた環境破壊の問題も、不況になった途端にどこのマスコミも言わなくなり、逆に声を合わせて不景気対策を何とかしろとバブル再燃を煽り立てている。今のままが地球にやさしい生き方であるなどと主張するマスコミは皆無と言って良い。
 マスコミが広告やCM収入で生きている限り、スポンサーの悪口は言えないのは当たり前の話で、広告収入の期待できない商品を話題にするはずはないのである。マイツールはハードとソフトが一体化された一社独占の商品であり、秋葉原のパソコンショップに流通させていない。流通させたところで手離れの悪いパソコンソフトを扱う店はない。大塚商会のようにマイツールだけは扱いませんという代理店もあるらしい。高いと言ってもオフコン並みの値段はしない。かといってオフコン並みに手が掛かり、言語教育しないと使えない。イニシャルコストだけで、ランニングコストの掛からないユーザー満足度NO1のパソコンソフトなど、売る側から見れば何のメリットもない。マイツールで創るアプリケーションソフトも商売にならないからソフトハウスから相手にもされない。そんなソフトを記事にしても何の見返りも期待できないから雑誌には載らない顛末となるのである。唯一のOAパソコンは過去からの付き合い(解体新書のヒット)でしかたなく掲載しているもので、多分近い将来消え行く運命であろう。(山上氏の疑問の回答になっているか否か?                                          以下次号へ続く


《マイツールこだわり人生(2)》

M4バージョンについて話してみたい    逆引事典の佐藤 雅栄

マイツールM4バージョンをちょっとだけ触る機会を得た。慣れていないせいもあるかも知れないが、表面的な印象では、プルダウンのあのピアノの鍵盤のようなタッチ感覚と、ボヨヨ~ンという妙なエラー音には、ちょっとなじめなかった。プルダウンはやはり色が変わるほうがわかりやすいし、エラー音はピッと鳴るほうがやはりエラーらしくて良い。M4のマシンを使ってセミナーをやっていると、あの奇妙なエラー音がやたらにうるさくてイライラしてくる。この辺は趣味的な問題かもしれないが、バージョンアップするたびに必要以上にアイコン等の周辺機能に凝り過ぎていくのは、やはりマックを意識しているせいなのだろうか?
 コマンドも一通り叩いてみたが、今まで自分で手作りで楽しみながら作っていたセミオートや「CMD」を、コマンド化してしまった「BEST」「DIF」「PER」「RANK」等は、余計なお世話と思っているユーザーもいるのではないだろうか?これがエスカレートしていくと、そのうち金種計算コマンドや出納帳コマンドなども出てくるかも知れない。しかしそんなおせっかいコマンドの中でも、カレンダー作成コマンドは良くできていて重宝する人も多いだろう。「CALE」と入れてドンを9回叩くと今月のカレンダーを自動的に作ってくれる。こういうものをマイツール的なハイタッチコマンドの代表と言ってよいだろう。それなのに残念ながらM4では、ハイテックではあるけれどもハイタッチではない新コマンドが多く目についた。これは多分コマンドを作った開発者が、普段ハンドリングでデータと対話しながらマイツールを使わなくなったせいだろう。オート化が前提であれば問いかけ回数が多くても、何を聞いているのか意味不明で暖ったかみがなくても気にはならないが、コマンドをことばとして使い、データと会話しながら仕事をしたいユーザー(私のような)にとっては、問いかけの意味がわからず、途中たびたび思考が中断されたのでは、誠に使いにくいこと甚だしいのである。
 日常ハンドリングでデータを入力(EFでなく)しているユーザーにとって、ちょっとしたかゆいところに手が届く機能が格別にうれしいときがある。それがエントリー入力中での「左寄せ入力」と「一行空け」と「列幅増やし」である。こういう機能はすぐM3ユーザーにも提供してあげるべきで、それが供給者側の良心というものである。カーソルが画面上に出ているときに、いちいち中断して「SL」や「IL」や「CF」はやりたくないものであり、ちょっとした機能がユーザーのこころを捕らえる場合があることを知っておくことが大切だ。次に「EF」は嫌いなコマンドの代表なので、今度の「DF」もついその仲間と思い、バカにしていたが触ってみると、これがなかなか面白い。これもちょっとした機能としてけっこうハイタッチにできていて、ドンドンとやるだけで、画面データの項目を一瞬のうちにカード型の端末画面に変えてくれる。ついでにドンとやるだけで最初のデータを画面表示してくれてもよかったが、バーコード機能よりはユーザーに喜ばれそうだが「SHUのN」が楽にできるのも良い。新たな活用の世界が広がることだろう。
 出るべくして出たなと思わせたのが、「BT」「MT」「ST」のタイトルコントロールと該当ページの連動機能である。この機能は賛否両論あって、過去からやらない方針できたものと思われていたものである。マイツールの一番のこだわりである『ページの概念』が、ややもするとおろそかにされかねない機能なので、今後M4以降からの初心者によるデータ破壊が頻発するのでと懸念される。
 「RF」というコマンドもユニークで、ちゃんとわかって使えば便利な機能である。どちらかというと補助コマンド的ではあるが、複数ページで桁ずれの恐れがあるときは、これを一発かけておけば良い。項目名で判断されるので、順番や列幅がメチャクチャでも常に先頭ページのフォーマットにしてくれる。項目名は一文字でも違うとだめだが、文字間にスペースがあっても、ちゃんとやってくれるのはマイツール的でいいかげんなところはマルである。「XY」は「TRP」のAI版と理解して良いだろう。表のかたちを壊さずに行と列を引っくり返せるので、気軽に列ソートができるようになった。これもマルである。
 驚異的な威力を発揮する集計コマンドもいくつか追加されてはいるが、果たしてどれだけのマイツールユーザーが使いこなせるものか甚だ疑問である。何故ならマイツールをマイツール的にデータベース蓄積マシンとして使っているユーザーは、この2~3年の間に大幅に激減していると思われるからである。売る側が効率重視の販売姿勢から、オフコン的なニーズの顧客にはパッケージを売りつけ、マイツールでの仕事は手離れの良いロータス的(表計算的)な使い方か、ワープロ的な使い方の指導だけしかやってこなかったためである。≪一行一データ主義≫や≪データ優先主義≫のコンセプトは、マイツールを使う上ではもっとも基本的な考え方ではあるが、使う側はもちろん、最近では売る側でさえもこの教育をおろそかにしがちになっているのが一番気になるところである。だいたいデータの重複で悩んでもいないのに「DSH」が、「TM」も使っていないのに「TMT」が、「UPD」も使っていないのに「UPDS」「UPM」「MTE」が、「TP」も使っていないのに「VT」「CMP」が使いこなせるはずはないのである。
 表の中の範囲計算ができないので「SUM関数」が、標準偏差の計算ができないので「STAT」が追加されたのは、あきらかにマイツールをロータス的に使うユーザーが増加していることを物語っているものである。表計算的に使うマイツールユーザーに媚びるのは、あまり感心したものではない。何故ならやぶへびになる恐れが大きいからである。所詮マイツールのコマンドのひとつでしかない「SIM」が、再計算機能が全ての表計算専用ソフトに勝てるはずはないのである。キュウハチやマックの世界を知らないマイツールユーザーに、もっと素晴らしい表計算ソフトがあることを知らしめるきっかけを作ってやるようなものである。現実にどこかのMUGの会長さんのようにロータス1-2-3に乗り換えた人や、マックに買い変えた人もいると言う。左脳マシンとしてのマイツールを使いながら、右脳マシンとしてのマックを使うのは正しいと思うが、マイツールをまったくやめてしまってから、現状のマックやキュウハチに変えてしまうのはもったいないことだ。それはデスクワークの利用技術の後退を意味するからである。仕事より趣味、ビジネスよりホビーという考えの人は別ではあるが、データベース生活を心がけたい21世紀のビジネスマンにとって、マイツールの世界を極めていくこの選択が、一番賢明であり、時代を先取りしている姿であることをしっかり認識してほしいものである。
 それにしてもこのM4バージョンをまともにデモできる人がどれだけいるかわからないが、売る側の今後の取り組みと、今年のビジネスショーで新しいマイツールの世界が見られることを期待したいものである。少なくとも個人ベースで気軽に他の人にもすすめることができる、安くてもまともに使えるコンパクトなプリンター内蔵のマイツールノートをぜひ出してほしいものである。キャノンからのOEMではない独自のものを・・・・。   (以下次号へ)


《マイツールこだわり人生(3)》

最近、淋しい思いをしたことについて話してみたい 逆引き事典の佐藤 雅栄

 この「はぁとうぇあ」誌に投稿するのは3回目となるが、なんといっても検閲なしで、そのまま原文を掲載してくれるのがありがたい。どうせバカな男の独り言を誰も読んではくれていないだろうと思っていたが、大阪の山名先生から、同感であるとのおハガキをいただいた。その励ましの便りに少し調子づいて、今回も変貌しつつあるマイツールの世界について、日ごろの感想を述べてみたい。
私が、ある日ある場所でM4を触って一生懸命勉強していたときである。隣の会議室では、ある人たちが「エクセル」の勉強会をしていたらしい。「エクセル」とは最近話題の表計算ソフトである。売る側にとって、いろいろなパソコンソフトを比較研究することは良いことで、それ自体に問題はないのだが、そこで交わされていた会話に、一瞬自分の耳を疑ってしまった。興奮気味に話し合っていたある二人の会話の中に、 「エクセルはマイツールよりいいね」と言っている部分があったからである。確かに「マイツールより」と聞こえたような気がしたのは、聞き間違いかも知れないと信じたかった。何故なら、その二人は本来マイツールを販売する責任者の立場にいる人達だったからである。ここ2~3年マイツールを販売する立場の人達にこだわりがなくなりつつあり、マイツールという商品もワンノブゼムになりつつあることは、うすうす感じてはいたが、直接会話を耳にしたのは初めてであった。その時はムカッときて、殴り込もうかとも思ったが、時代のすう勢でしかたない現象なのかと自分に言い聞かせ、思いとどまった。しかし、後から考えてみたら無性に淋しく、非常に空しくなって力が抜けてしまっていた。PIPS時代から付き合ってきた私としては、また歴史は繰り返されるのかという感慨を持ってしまう。キュウハチやIBMを敵に回して、クローズ戦略をとってきたのは、それなりのこだわりがあったればこそと信じていたかった。最近のフェアなどでのセミナー内容を見ていると、「WINDOWS」や「DOS/V」花盛りで、まるで「ユーザーそっちのけキュウハチの世界」そのままの話題ばかりである。当事者にとっては、ようやくパソコン業界の仲間入りができると喜んでいるいるのだろうが、「こんなことなら最初からキュウハチを売っておけばよかった」と嘆いているマイツール派の販売店主の声もあることを、忘れてほしくはないものである。その人は言う。「SP-250Ⅱ時代の『優しさには、だれでも触れてみたくなる』の感動を再現して見たいものですネ」と。そんなコピーもあったんだなあと思い出しながら、そういえば「七つの言葉を覚えればすぐ使えます」「日本語で命令できる(タブレットのこと)唯一のコンピュータ」なんてのもあったっけと、その人の便りを読みながら、古き良き時代のマイツールを懐かしく思い出していた。なぜ吉永小百合なのか?なぜバラの花なのか?なぜ鶴の恩返しなのか?をいまだに理解できないところもあるが、諸葛孔明の新聞広告にはうなずきながら、なぜこんなかたちでもっとアピールしてくれないのかなと思ったりもしたものである。
PIPSも「スーパーPIPS」から「マイルドPIPS」「ザPIPS」と名前を変えつつ、細々と生き長らえているらしい。私も含めて、西先生が「これからはマイツールよ」といったとたんにくら替えしてしまった移り気なPIPSユーザーも少なくなかったが、PIPSにズっと愛着を持つ続けている一途なユーザーも少なくないのだろう。「今もPIPSを使っています」という人に出会うと妙に気恥ずかしくなったり、ホッと安心したりで複雑な心境になってしまう。今の自分を育ててくれたパソコンソフトがまだ現存していることのうれしさと、浮気をして擬似PIPSのマイツールを使っていることへの後ろめたさを感じているせいなのかも知れない。
 マイツールを取り巻く環境を冷静に判断すれば、売る側は即刻、戦略転換すべき時なのかもしれない。いたずらに新規ユーザーを開拓するという販売効率の悪いことはやめて、既存ユーザーのみをターゲットにする戦略に帰る時期に来ているのかもしれない。そうすれば、第一線の販売部隊のマイツール専任者を、大幅に縮小できるだろう。いやいっそのこと、まったくマイツール関連の組織は、廃止しても良いくらいだ。「感性のない人間には使ってほしくない」と過激なことを言うユーザーもいるように、マイツールの良さがわからない人間には、どんなデモや説明をしてもわからないものなのである。そんな無駄な労力は、もう一方のパソコン販売にすべて振り向けるべきなのだ。現状のマイツールユーザーの大半は、リースが切れるのだから。なにしろユーザー満足度NO1のパソコンソフトと言われたくらい実績がある。買い替え情報の収集も、かってにユーザーが自分でやってくれるから、販促資料の作成も一切不要。供給者側は現行プライスを維持しつつ、定期的に技術革新に伴った新製品を発売していくだけでよい。一定台数は掃けると確実に計算できるのだから。なにしろ20万本も出荷された実績がある。こんな販売効率の高い商売はないのではないだろうか。関係者の方々、ご検討の価値有りや?等々と、淋しい会話を聞いた後で、マイツールの将来について、悲観的に妄想してしまった。
 悲観的になったついでにもうひとつ、1000事例について話してみたい。先月号の巻頭文に福田氏が協力を呼び掛けていたので、批判的なことは言いにくいが、あえて言いたい。以前のような事例集であれば、作らないほうがまだましである。ただいろいろな表を無思想に並べただけの事例集では、ますますマイツールによる表計算的な使い方を加速するだけになる恐れがあるからである。一行一データから展開されていない事例をいくら沢山作っても、「ロータス1-2-3」や「エクセル」のフォーマット集より貧弱なものに写ってしまうのは目に見えている。「『ある蓄積されたデータを、こんな切り口で加工してみたら、こんなものがみえてきました』そんなマイツール的な事例を教えてください」と一言、募集の時に追加してくれていれば、どんなにか素晴らしい他ソフトとの差別化デモになったことか。
募集のやり方にも疑問を感じる。これだけ全国展開しているMUG活動の草の根的なパワーを、最初から使っているようには見えないからである。莫大な費用を掛けて維持しているユーザー組織を、なぜもっとうまく利用しないのだろうか?毎月全国の地方MUGでやっているハズの例会の議事録をまとめていくだけで、りっぱな事例集はすぐできると思うのだが?聞くところによると、営業マンが直接ユーザーに依頼しているらしい。するとどうなるか?「日頃マイツールのフォローもちゃんとやってくれていないのに、なんで協力しなきゃならないんだ」と言われるのがオチである。そんなことで、多分応募もそんなに多くはないのではと推察される。今回は少し腹がたったので、つい挑戦的な内容になってしまった。異論・反論を!


《マイツールこだわり人生(4)》


「MUGニュース」について話してみたい 逆引事典の佐藤 雅栄

先ごろ大阪の河元氏からも、暖かい励ましのお便りをいただいた。その中に『言いたいことがあるのなら、「MUGニュース」へ投稿したほうが、より効果的ではないのか?』という一文があったので、今回は普段なぜかあまり話題の対象にはされていない、その「MUGニュース」を中心に述べてみたい。
 私が桑名へ投稿する理由は三つある。一つ目は、昨年末の忘年会に参加して、ただ何となくその気になったからである。二つ目は、桑名が全国で唯一ユーザーだけで運営してる「MUG」だからである。三つ目は、前回も書いたが、そのままのかたちで掲載してくれるからである。できれば、沢山のユーザーに読んでもらえる「MUGニュース」のようなものに書きたいのは当然の気持だが、どうも昔からの印象で、こんな内容の記事をすんなり掲載してくれる環境にはないのではないかと、かってに思っているだけである。最初「MUG」が設立されると聞いたとき、明らかにPIPSにおける「PUC」の二番煎じだなとすぐにわかったが、バックアップする企業が以前とは格段に大きくなっているので、周囲への波及効果も含めて多少の期待は持っていた。しかし残念ながら、それが期待外れであったことはすぐに気付いた。設立にあたって、マイツールも知らない著名人が、なぜ有名というだけで会長にならなければいけないのか?設立総会で、なぜマイツールも使えない新人歌手を引っ張ってこなければいけないのか?「MUGニュース」の創刊号で、マイツールと関係ないのに、なぜパソコン通信のすすめが優先されなければいけないのか?いつも誌面が、なぜオートプログラムで埋めつくされなければいけないのか?数年巻頭文として連載し続けたコンピュータ業界の著名人に話をさせる「パソコン文化を語ろう」は、なぜ「マイツール文化を語ろう」ではないのか?誰もほしがってもいないのに、なぜ「MUGグッズ」なのか?マイツールそのものを避けて、なぜどうでもよいことに神経を使うのか?マイツールが好きでもない人間が、なぜマイツールの仕事をしているのか?マイツールへの思い入れが強かったこともあるが、当時の事務局がやることなすこと、すべてピントがずれているように思えて、たまらなく腹が立ったものである。実際、コマンドで簡単にできるものをわざわざオート化した事例を、大げさに称賛している記事を見て、「こんなつまらん記事は載せるな!」と、電話で本部へ怒鳴ったこともあった。決して嫌がらせの気持ではなく、オートプログラム礼賛の風潮に、少しは反省をうながす気持もあったのだがたぶん、うるさい奴としか思われていなかったことであろう。
 大企業ではよくあることだが、この「MUG」活動に携わっている人達にとっても、明らかに嫌々やらされているサラリーマン仕事のひとつでしかないことは、私も大企業の組織に身を置いた経験があるため、直感的にすぐ理解できた。たまたまできた職場に、たまたま配属された人達で運営しているにすぎない。当然そんな人達が作る「MUGニュース」の記事からは、これからマイツール文化を普及させていくんだという、こだわりや使命感など伝わってくるはずはない。前述の「パソコン文化を語ろう」に登場させた著名人に、マイツールを教え、使わせ、語らせる努力をした形跡等ほとんど感じられなかったことからもうなずける。多少仕事をもらっているからゴマをするわけではないが、「MUGニュース」も最近では、かなり内容的にも親しみの持てるものにしようと努力している姿勢は伺える。しかし、設立してから2~3年後の「MUG」に対するそんな嫌な印象を、いまだに引きずっているため、積極的に関わっていこうという参加意識も希薄にならざるを得ない。
「MUGニュース」も「PIPSマガジン」の二番煎じでしかないのだが、今でも後者の方がはるかに思想的で高尚な内容を持っていたと思っている。既に十数年も前に発刊された創刊号の巻頭文で、椎名社長と長谷川氏が対談していた記事を、興奮しながら読んだ記憶は今でも忘れられない。その中で「ドキュメンテーションの良いソフト」という意味がわからなくて、いつまでも一人で悩んでいたことを懐かしく思い出す。残念ながら、「PIPSマガジン」もその後マンネリになり、つまらないものになっていったが、少なくともPIPSが好きな人間が集まって、一所懸命PIPSのことだけを記事にしていたなという印象は残っている。
 たぶんこれから「MUG」本部からの仕事がなくなることを覚悟して、「MUGニュース」の批判をしてみたい。まず、ひも付きになっているためか、メーカー側への苦言・提言・要望記事がほとんど見受けられないことである。読者からの生の声も、耳障りの良いものばかりを集めた印象を受ける。次は読者ターゲットがあいまいであることである。ユーザーのみを対象としているのか?一般読者も対象としているのか?また両方を対象としているのか?経営者を対象としているのか?実務者を対象としているのか?それとも両方を対象としているのか?たぶん全部を対象としているのだろうが、「MUG」の機関誌としての印象も薄い。次は読みたくなる記事が少ないことである。オートプログラムの紹介はやめてほしい。他人の作ったオートなど見たくもない。地方MUGの活動報告も文末に個条書き程度でよい。名前や顔写真が載って喜ぶのは本人だけである。マイツールを使っていない知識人のありがたい話や、マイツールとまったく関係のない記事も必要ない。誌面のスペースが無駄なだけである。導入企業への取材記事も、より実践的・実務的に、読んだユーザーのヒントになるようなものにしてほしい。会社紹介・人物紹介・導入のきっかけや使用状況などの説明は、いつも紋切り型で読み飽きた。
 逆にこんな記事なら読んでみたいという視点に立って、いくつか建設的な提案をしてみたい。マイツールの使用実態を把握するために、いろいろなアンケート調査を実施してみるのもいいだろう。そのまま市場調査の参考にもできる。読者からの声も積極的に吸い上げて、場合によっては誌面で論争させてもよいだろう。より参加型機関誌の一体感が生まれてくる。他のツール型ソフトとの機能比較をするのもいいだろう。マイツールにもあったら便利な機能が見つかる。キュウハチユーザーにマイツールを触らせて、その体験レポートを書かせてみるのも面白い。マイツールの存在を教えられる。逆にマイツールユーザーに「エクセル」を触らせて、その体験レポートを書かせるのも楽しい。マイツールの良さを再確認できる。パソコン業界のマイツールに対する評価や見方をそのまま載せて、それにコメントするのもいいだろう。マイツールの立場や位置付けが浮き彫りにされる。悪意的な内容も含んだマスコミのマイツールに対するパブリシティもほしい。マイツールに対するマスコミの姿勢がわかる。しかし、最近は業界から無視され続けているので、無理やりインタビューでもしない限り、取材できないかも知れない。それでも、パソコン業界とは積極的に関わっていく姿勢は、どこかで示してほしいものである。
 「MUGニュース」をよくするためには、本当にマイツールの好きな人間が集まって記事を書き、それに対する読者からの反応をまた記事にするというキャッチボールを通じて、マイツール消滅の危機を救う使命感に燃えて取り組むことが大切である。桑名も「はぁとうぇあ」は、単なる一ローカル誌にすぎないが、「MUGニュース」も今では同じ次元で存在していることに、関係者も気付いてほしい。


《マイツールこだわり人生(5)》


マイツールのネダンについて話してみたい 逆引事典の佐藤 雅栄 

 本誌の山上氏の記事はいつも楽しく読めるが、4月号の内容では、特に森谷氏のM4感想文が私好みの記事でマルであった。批判的に、俯瞰的に、客観的に、第三者的にマイツールそのものを冷静に論じてくれる、こんな記事がもっと増えてくれることを願っている。早いもので、私も今回の投稿で5回目となるが、福田氏から、回を重ねるごとに過激になっているとの感想を頂き、思わずハっとしてしまった。今回からは、少しトーンを落として控えめにせねばと思ってみても、『言いたい放題』に加速がついてしまった今では、どうにも止まらなくなってしまった。
 売る側の責任者の中で、マイツールのことを真剣に考えている人は、今さぞかし悩んでいることだろう。この先のプライシング戦略(そんなものがあればの話)をどうすべきか?正念場にきているからである。今年の初め、かつて自動車や家電で日本にやられた米国が、キュウハチ寡占で無風だった日本のパソコン市場に、今度は逆に低価格機のコンパックやデルで殴り込みをかけて来た。一時は米国並みの比較広告も出現し、ハード性能やコストパフォーマンスの高さを露骨に競い合い、保証期間の長さや価格の安さを強調するなど、日米双方互いに火花を散らしていた。資本主義社会でのこの手の争いは、消費者側にとっては誠に喜ばしいことではあるが、供給者側にとっては死活問題になりかねないため、さすがに最近では、価格競争の愚かさに気付いたのか、若干自重気味になってきた。しかし、このコンパックショックはパソコン業界全体に拡がり、バブル崩壊後の不況感も手伝って、ハードもソフトも低価格化へと一気に流れてしまった。カラーノートパソコンは30万円台で手に入り、内蔵HDも120メガが常識となり、表計算ソフトの価格も7割引きになってしまった。そんな中で、ひとりパソコン業界とはまったくの無縁で、我が道を行く感じの強かったマイツールも、これからは現場の第一線で何らかの影響を受け始めてくることは必至と思われる。なにしろ、特定の条件が必要とは言え、「ロータス1-2-3」の価格が、M4のバージョンアップ料金と同じになってしまうほどの変貌ぶりである。
 こんな状況を見ていると、やはり歴史は繰り返されるのかと、しみじみ「PIPS」の事を思ってしまう。10数年前に100万円もしたパソコン(たまたま手に入れた「PIPS」を載せていた)M23が飛ぶように簡単に売れたとき、メーカー側は自信満々で毎年高級化路線へと突っ走っていた。その自信は、一人一台の普及機の要望がユーザーから出た時、フロッピーが主流になっていた時代に、カセットベースのハンドヘルドコンピュータに使い物にならない「PIPSもどき」を搭載してきたことからも窺えた。差別化することで、低価格化への流れを何とか阻止しようとしていることは明らかに見え見えだった。しかし、ベンチャー企業の雄として飛ぶ鳥を落とす勢いだったメーカーの成長も、その後そんなに長くは続かなかった。クローズ戦略の閉鎖性も原因し、周囲から孤立したまま、売り上げは徐々にジリ貧になっていったからである。苦し紛れに「パソピア」でも走るように中途半端な一部オープン化を実施してきたが、「PIPS」の販売効率の悪さに気付いた経営サイドは売り易いパッケージソフトへと一気に移行してしまっていた。ここまでの流れは、その5年後に疑似PIPSであるところの「マイツール」が、たどってきた歩みをそっくりそのまま当てはめてみることができる。
 元々メーカーにとってパソコン販売への参入は最後発で、ダメモトのワラにもすがる気持で扱い始めたのが、この「マイツール」であった。それがふたを開けてみると。複写機やFAXを苦労しながら売っていた営業マンに、突然客の方から200万円もするSP-250をすぐ持って来いという電話が続々入ってきた。さぞかしパソコンを売ることは、なんと簡単でおいしい商売であることかと思ったことだろう(それが商品力ではなく、営業の実力と信じていたメーカートップが、今だに誤解しているところは悲劇と言ってよい)。営業力に自信を持ったメーカーは強気に転じ、Mrシリーズになっても、HDの容量アップやプリンタバッファの内臓などでどんどん高級化させていった(プリンターも負けじと高級化させ、10万円を切るまともなプリンターなどは今だに発売されていない)。その自信は、一人一台の普及機の要望がユーザーから出たとき、フロッピーが主流になっていた時代に、カードベースの「マガス」に使い物にならない「マイツールもどき」を搭載してきたことからも窺えた。差別化することで、低価格化への流れを何とか阻止しようとしていることは明らかに見え見えだった。しかし、ビジネス事務機企業の雄として飛ぶ鳥を落とし勢いだったメーカーの成長も、その後そんなに長くは続かなかった。クローズ戦略の閉鎖性も原因し、周囲から孤立したまま、売り上げは徐々にジリ貧になっていったからである。苦し紛れに「PS」でも走るように中途半端な一部オープン化を実施してきたが、「マイツール」の販売効率の悪さに気付いた営業サイドは、売りやすいパッケージソフトへと一気に移行してしまっていた。
 低価格化への流れを阻止するものは、メーカートップの迷いというより、有力ディーラーの頑固な抵抗に遭うことの方が大きい。特にオフコン並みに手間のかかるマイツールを、価格が安くなってしまってはどこも扱ってくれなくなる。一度高額商品で莫大な利益を享受した経験を持つと、その後の価格戦略に狂いが生じてしまうのは良くある話で、規模は違うが、ダウンサイジングの波に乗り遅れた最近のIBMの悲劇もそのたぐいと言ってよいだろう。その点、アップルはパソコンの過渡期を、うまく乗り切ってきた良い例と言える。中途入社のスカリーは、ハイプライスの「LISA」で開発費の早期回収を目論んでいた創業者のジョブスを追放し、ロープライスMACの「クラシック」でパソコン市場を席巻してしまった。マーケティングのプロであるスカリーの率いるアップルは、自分を招いてくれた創業経営者を追い出してまで勝ち取ったマッキントッシュ戦略で、今見事に成功している。
 まともにビジネスに使うためには、マックでも200万円は掛かるのだが、さも10万円台で憧れのマッキントッシュが手に入るような印象を与えるマーケティング戦略はさすがと言ってよい。それに比べマイツールは、馬鹿がつくほど正直にまじめにセット価格をクリアにしているので、いつも他のパソコンより割高な印象を与えてしまう。ビジネス用としての価格比較では、決して負けてはいないのに、なぜもうちょっとうまくできないのかと、ひとごとながら残念でしょうがない。それにしてもビジネス用はともかく、隣の家の人に気軽に勧めることができる、パーソナルなマイツールがないのには、非常に困ってしまう。デスクトップやカラーラップトップの値段では、びっくりされてしまい、HDが内蔵されていないノートマイツールは、高いのに使い物にならない。かといって、内蔵されたノートパソコンでは100万円近くかかってしまう。マガスは問題外で、PSノートは使う気になれない。いろいろなパソコンソフトを走らせることが目的ではなく、マイツールで仕事をすることが目的なので、わかりにくいキーボードよりやはりマイツールの専用キーボードがほしいため、多少安くてもPSシリーズではちょっと敬遠してしまう。
 HD内蔵で、キーボードはテンキーと一体型(ウィズミーのような)で、マウスは標準装備にして、マイツールソフトはフルマイツールと差別化するため、コマンド選択方式のチョイスシステムにしてROM化する。そんなマイツール専用ノートパソコンが、29万8千円の戦略価格で登場してくる日は、まだ遠い先なのか?


《マイツールこだわり人生(6)》

マイツールの売り方について話してみたい    逆引事典の佐藤 雅栄

 先月号では、天野氏と山上氏の記事の一部が、丁度私の記事の内容と重なっていた。示し合わせた訳ではなく、たまたま偶然の一致でしかないのだが、今後のマイツールの動向を、皆同じ熱い思いで見守っている表われなのだろう。それにしてもMUG事務局のエライ人からの、私への名指し記事があったのには驚かされた。たぶん、これからは「MUGニュース」もより良くなる、と期待していきたい。
 本誌の3月号で『マイツール販売の戦略転換を図るべきときは今』と皮肉のつもりで、マイツール関連組織撤退のすすめを書いたが、すでに販売の第一線では、実際に一部始まっているところがあるようだ。OAプラザとショールームが営業マンの事務所に改装されたため、しかたなく外部の会場を借りて、月例会をやらざるを得なくなった地方MUGがあったらしい。日頃の稼働状況が低いという理由で、組織の統廃合に合わせてつぶされていくケースの、とばっちりにあったためだろう。幸いOAプラザ撤去の動きは、とりあえず地価の高い都心部だけで、当面全国的に広がる気配はなさそうだが、将来的にはOAプラザ全面消滅の日は近いかも知れない。なぜなら、ただ資金を寝かしておくだけで何も売上を生み出さない無駄な空間より、歩き回れる営業マン増員のための空間が、より経営に貢献できるという判断に、文句の言える人間は誰もいないからである。不景気になれば、もう用済みとして真っ先に切り捨ての対象になっていくことは、経営の素人から見ても当たり前の話である。ましてや常々マイツールの躍進を苦々しく思っていた事務機畑の人達にとっても、ここぞとばかりに「プラザつぶし」へ攻勢に転ずる良い機会にもなったことだろう。それにしても、機能や効用については、最近私も若干疑問には思ってはいたものの、いざマイツール販売やMUG活動の象徴とでもいうべきこの「OAプラザ」のひとつがなくなったと聞いたときには、やはりきたかという不安の的中とともに、マイツール時代の終焉を告げられる一抹の寂しさを感じてしまった。
 バブル崩壊後は、どこの企業もリストラブームである。単なるFダウン(経費削減)も、流行りことばの横文字で言われると、前向きでカッコ良く聞こえてくるから不思議なものだ。OAプラザが、このリストラクチャリングの対象になっていたかどうかは定かではないが、マイツールを販売しているこの事務機メーカーも、リストラのおかげで今期は減収増益の好決算だったらしい。5~6年前まではライバルのC社ときっ抗していた経営業績が、最近までは離される一方だったが、多少は歯止めをかけるかっこうにはなったようだ。昨年まで競合他社に大きく水を開けられてしまった一番大きな要因と思われているのは、パーソナルユースの普及品が弱かったためと言われている。なぜ、そんなに安物に力を入れなかったのだろうか?私なりに推測してみた。差の開くきっかけとなった5~6年前といえば、マイツールの絶頂期である。たぶんそのときの経営トップは、ビジネスユースで成功して、高付加価値高額商品で成功したマイツール型販売(先月号参照)を、他の商品群にも適用しようと考えたのではないだろうか?マイツールの成功が、商品力でなく営業力と誤解していたので、その売り方をFAXやPPCにも水平展開できると甘く判断していたに違いない。一面ではそのやり方も成功している。無駄とも思えるほどの高機能化もバブルの時流に乗り、受け入れられていったからである。そして、マイツールファンになってくれたビジネスユーザーが、多少高くても同じメーカーであればすぐに買ってくれるという幸運にも恵まれた。そのため徐々に個人向けの低価格商品に力が入らなくなり、気が付いたときには、大きくパーソナルユーザーのシェアを他社に奪われてしまっていた。つまり皮肉にもマイツールのヒットが、知らずのうちに会社全体の経営不振の元凶となっていたのである。これではいかんと危機感を煽ってみても、時すでに遅く、手をつけ易い社内行革(組合のない会社はドラスチックな人事異動や組織変更はすぐできる)へ走った結果が、今年の減収増益という結果になって表われたのではないだろうか?
 そんな背景の中で、パソコン事業全体もリストラが着々と実施されてきた。マイツールにこだわり過ぎて失敗した反省を受けて、いままでライバル他社が売っていたものであろうが(たとえばマック)、ライバル他社が作ったものであろうが(たとえばBJノート)、売れるものはなんでも売る、という販売姿勢に方針を変更してきた。そして、こっちで売っていた商品をたとえライバル他社が扱おうが(たとえばPSノート)気にもしなくなった。もちろんパソコンソフトも、ハードとのバンドリングにこだわらず、DOS/Vマシンで走るものならなんでも扱うようになってきた。マイツールユーザーにも、価格の折り合いがあわなければ、多少使いにくくても売り易いIBMマシンをすすめるようになってきた。販売社員へのパソコン教育も、マイツール一辺倒から市販ベストセラーソフトの総花的教育へと大きく変わってきた。若い専任セールスは、マイツールの教育(WHAT TO)よりMS-DOSやウィンドウズの教育(HOW TO)をより望むようになってきた。こうした流れの中で、今後はマイツールも他の市販ソフトと同様に、ウィンドウズ上でも走るようになり、キュウハチでも使えるようになっていくことだろう。この現象は、いわゆるひとつの安易なOEM販売や販売会社の商社化に拍車が掛かり、マイツールの戦略なきオープン化が、なしくずし的に始まって行くことを暗示しているものである。
 オープン化されることは、まったくもって喜ばしいことである。PIPS時代から、どんなにこの日を待ち望んできたことであろうか。特に私のようなPIPS/マイツールにこだわり続けてきた人間(一部では小判鮫商法と囁かれている)にとっては、ようやくキュウハチの世界と関わりが持てる、絶好のチャンス到来と言ってよい。しかし、今のままでオープン化しても、夢のようなマイツールの世界が待ってくれているとはとても信じられない。マイツールを取り巻く環境が、現状とあまり変化しないだろう、ということが簡単に想像できるからである。いつも言っているように、当事者からはマイツール文化を普及しようという使命感も、パソコン業界に殴り込みをかけるという、意気込みや戦略がまったく伝わってこないからである。そればかりか、パソコン業界のマスコミからは、まったく相手にされないだろうという最悪のシナリオが待っている恐れもある。その理由はいつも言っているので繰り返さないが、今となっては、オープン化の記事は『ウィンドウズ上で走る馬鹿高い統合型ソフトのひとつ』として、小さく冷たく報じてくれるだけになるだろう。思えば、マスコミを味方にするチャンスは何回かあった。たとえば、日経パソコンが異常なほどの興味を示してくれたときも、オープン化のチャンスだった。桑名のハートウェアを取材してくれたり、マイツール開発物語を記事にしてくれたり、アンケート調査でユーザー満足度NO1と紹介してくれたときである。このときほどキュウハチユーザーが、マイツールというパソコンソフトに関心を示した時期はなかったのではなかろうか。そんなときひと言「もちろんキュウハチでも走りますよ」と回答しておけば、どんなにかパソコン業界に、マイツールの知名度が浸透していったか計り知れない。無理もないことだが、当時のメーカー側は逆に天狗になり、より強くクローズ戦略という守りに入ってしまったため、パソコン雑誌からは総スカンをくらってしまった。以後、「良いパソコン、悪いパソコン」の評価対象からも外されてしまうという村八分の状態になっていく訳である。 (つづく)


《マイツールこだわり人生(7)》

引き続きマイツールの売り方について話してみたい 逆引事典の佐藤 雅栄 

 「OAパソコン」に掲載された私の記事を読んで、賛同して投稿してくれた森谷氏と、「はぁとうぇあ」に転載してくれた福田氏の理解ある配慮には心より感謝したい。他にも清水氏・倉田氏・矢島氏・宮川氏の「こだわり人生読んでるよ」との暖かい励ましに応えて、今回も過激にセマってみたい。(前号からのつづき)
 マイツールがパソコン業界から閉め出されていく様子が、実に良くわかる数少ない文章のひとつを紹介してみよう。5~6年前のマイツール絶頂期に書かれた「中古機パソコンをねらえ!」という本の中で、Mr.マイツールLXの機種について解説している結論の後半の一節である。サブタイトルも面白い。『これではたんなるOAマシン。ビジネスのみでは先が苦しい。 (前略) (中略) ・・・・パソコン市場でマイナーであることを、リコーは自覚しているのだろうが、ここまでこり固まっていると、どうにもせつない感じがしてくる。孤立無援の「マイツール軍団」もこのままでは玉砕コースをたどりそうな気がするのはぼくだけではあるまい。一般ユーザーを相手にせず、ビジネスユースに徹する姿勢は失敗する可能性がきわめて大きい。特殊なマシンではサードパーティであるソフトハウスも積極的にならないから、当然まともなビジネスソフトも出にくいに決まっている。後発メーカーはもっとチャレンジ精神を持たなければどうしようもない。それにリコーからチャレンジ精神を除いたら後に何が残るのだろうか。反省を促したいところだ』と最後を締めている。内容はともかくとしても、「良いパソコン、悪いパソコン」と同じスタッフによって書かれたこの本が、中古機としてのマイツールの存在を当時は認めてくれていたことがわかる。しかし、私の知る限りにおいて残念ながら、この本がマイツールをパソコンのひとつとして、評価対象に加えてくれていた最後のパソコン本だったような気がしている。この本を読むと、スタッフの中心にいる大庭俊介という人物から、過去PIPS/マイツールの世界に多少関わりを持っていたような、いらだたしい憤りの雰囲気さえ漂ってくる。そうでなければ、これだけ過激に強烈な(私のように)叱咤激励にも近いメーカー批判はできないだろう。結局その後、彼の予想通りの展開になっていく訳であるが、あまりに的を得ていたので、当時メーカーのマイツール関係者の人達に、この記事の存在を知らせたことがあったが、そのときの反応は、軽く受け流して嘲笑していただけであった。
 オープン化の最初のチャンスは、電波新聞社から出されたSP-250の「解体新書」が、この種の出版物としては爆発的な大ヒットを記録したときである。PIPSのときもそうであったが、当時のパソコン業界は「BASIC言語」から「簡易言語」への過渡期にあり、どこのハードメーカーも自社のパソコンとバンドリングさせた似たり寄ったりの「なんとかカルク」を、雨後の竹の子のように競っていた時期であった。そのため出版業界は、パソコンの先端を走る簡易言語を話題にする書籍の企画には、すこぶる積極的で好意的であった。そんな背景の中でベストセラーになったこの「解体新書」は、マイツールというパソコンソフトを、一挙にブームの最先端へ押し上げる重要な役割を果たした媒体物のひとつと言える(ちなみにPIPSを押し上げたのは、西順一郎氏の「PIPS革命」だったことはよく知られている)。このヒットに気をよくした出版社は、二匹目のドジョウねらって他メーカーの機種の「解体新書」を次々とシリーズ化させ、関連企画として「ビジネスOAパソコン」という雑誌も同時に創刊させていった訳である。「日経パソコン」にも言えることだが、当時のパソコン雑誌は真面目にビジネスマン向けの内容で勝負していく姿勢が見られたが、いつしか現在の「Asahiパソコン」のごとく、業界の手先としか思えない記事だけに偏重していき、この雑誌も例に漏れず昨今のつまらない記事ばかりになり、義理で掲載させてもらっているマイツールだけが、不思議に異様な浮いた記事となっている皮肉が面白い。余談ではあるが、6月号に掲載され「はぁとうぇあ」にも転載してもらった私の記事は、表計算ソフトを小馬鹿にした内容と言ってよいのだが、直前のページには、労働省後援の表計算ソフト検定制度発足の動きが載っており、表計算的な使い方を推進させていこうという編集部の意図とはまったく正反対になっている結果に、思わず笑ってしまった。ともあれ、販促本のヒットに当然のごとく浮かれたメーカーは、手に入れたばかりの宝物を業界に開放するなどという馬鹿なまねはせず、自社だけで大々的に拡販していく結果になったことは言うまでもない。結局、「解体新書」のヒットでつかんだ最初のオープン化のチャンスは、こうして簡単に消えていった。
 PIPSのときもそうであったが、話題になって売れているときほどオープン化のチャンスだということが、メーカートップには理解できないのかも知れない。落ち目になってからオープン化したところで、先が見えているのがわからないらしい(この辺はマイクロソフトのビルゲイツにでもご教授願うしかない)。もっとも、マイツールの場合、最初の落ち目のときは、ソフトのオープン化に行かずにIBMとの提携というハードへ行ってしまった。最初の3年間は順調に延びていた売上もマイツールをオフコン的にオートによる安易なフォローをやりだしてから、次第におかしくなってきた。もともと手が掛かり、事前の社員教育とユーザー教育をしっかりやる覚悟でスタートさせていたはずなのに、効率重視の手離れの良い売り方へ担当者が走ってしまったからである。これも無理のない話で、ゼロからスタートしたパソコン事業の最初の1年が一番実績がよかったような状態で、毎年前年対比でノルマがかかってきたのでは、現場の専任セールスもたまったものではない。自社のエリア外にも進出せざるを得ない状況で、なおかつきめ細かいフォローなどやっていたのでは自分の首を締めるだけである。「一度売った客へは3回以上行くな」などという噂話を聞き始めたのも、確かにこの時期だったような気がする(この名残りが「オートは教えるな」というかたちで今でも残っている)。そこで、じり貧ぎみの売上アップを狙って、業界のことをよく知らない誰かが得意げに持ってきたIBMとの提携話に、ブランド指向の強いメーカートップが深く考えずに飛びついてしまったのだろう。その結果「55ノート」のOEM生産が始まり、自社販路での一定額達成ノルマも課せられていくことになったものと思われる(これはまだ当時は力の強かった節操のないIBMの常套手段で、私の在職中にも松下は似たようなやり方で「5550」でだまされている)。取り扱い商品が多くなれば一時的に売上アップするのも当然のことであるが、あまりの信念の無さに嫌気がさして辞めていった、マイツールの良さをよく理解している優秀な専任セールスやSPAの女性が多くいたことに、たぶんメーカートップは気付いていなかったことだろう。
 こうしてIBMとの提携後は一気にパソコン業界への仲間入りを目指し出した。先月号では物理的に「OAプラザ」が消滅するようなことを書いたが、どうやら私の勘違いで、外見はそのまま残し中身をNECの「ビットイン」にしたいらしい。最近のプラザは、ロータススクールや一太郎スクールでスケジュールがいっぱいである。先日ある会社にマイツール指導へ伺っているとき、マイツールを買った販売会社からウインドウズセミナーへの誘いの電話が入ってきた。マイツールユーザーの彼は一応誘いは断っていたようだが、素朴な疑問を私に投げかけてきた。「ウインドウズを使うと、マイツールでやってる仕事がもっと楽になるのですか?」と。私は彼に応える前に、電話を掛けてきたSPAの女性に同情していた。 (つづく)


《マイツールこだわり人生(8)》

しつこくマイツールの売り方について話してみたい 逆引事典の佐藤 雅栄 

 売る立場からの安西氏、使う立場からの山上氏、教える立場からの森谷氏と、ますます本誌もマイツールの記事で充実してきた。さらに京都の吉川氏も今後のマイツールの将来を憂えて投稿してくれたことは心強い限りである。本号が丸5年目となるそうであるが、これからも是非頑張ってマイツールに関する声を掲載し続けてほしいものである。このような正論を言ってくれる人達の声を、特殊なディーラーや変わり者のユーザーの声として聞き流してきたのが、PIPS時代の末期であった。その歴史を繰り返さないようにメーカーの奮起を期待したいものである。
 IBMとの提携と前後して、明らかにマイツールの扱いに迷いがみられるちぐはぐな販売対応が、メーカー社内で目立つようになってきた。キュウハチを敵に回してクローズ戦略をとっているマイツール陣営を無視するがごとく、キュウハチ対応可能のレーザープリンターを発売し、そのキュウハチに媚びる新聞広告を全面に押し出し、全国的な一大キャンペーンを展開し始めた。その結果、フェア会場やショールームには、マイツールより良い場所にキュウハチが鎮座しているケースも多くなり、まるでキュウハチの販売をやりだしたような錯覚さえ与えるようになってきた。しかし、一方ではマイツールのFDだけにしか対応できない高機能複写機が、隣で大きな顔をしていたり、マイツールを複数台導入してもプリンター一台で不便なく使えるプリントボックスという専用商品も存在していた。さすがに後者の商品は、プリンターが売れなくなったら困ると判断されたのか、あまり宣伝されないで社内の人達だけが便利に使っていた。さらにマイリポートなどを販売しているワープロ事業部との棲み分けを図るためか、ことさら安いマイツールマシンを売り出すことはいまだに遠慮し続けている。マイツール一本に絞って拡販してきたソフト戦略も、最初は表計算ソフトを敵視して差別化の道を探ろうとしたが、社内における表計算ソフトの利用者急増に伴い、次第にこだわりをなくしていった。エリアセールスがマイツールユーザーを訪問した際に、「こちらの方が便利に使えますよ」と「ロータス1-2-3」のカタログを置いていくまでになるのに、そんなに時間はかからなかった。
 衰退していく過程において、多少のゆり戻しがあるのは歴史の常である。マイツールにおける「20万本の証明」運動は、そんな社内にいる良識派のささやかな抵抗であったような気がする。しかし、それが販売体質を転換させるような本格的なものではなく、無駄な販促費を使っただけのスローガン的な上っ面のみの空しいキャンペーンに終わってしまったことは周知の事実である。売る人間と使う人間に対して、原点からマイツール教育を再度徹底させる運動を展開することが、本来のすすめ方だと私のようなマイツールこだわり人間はいつも感じているのであるが、実際にはまったく反対の運動が展開されていったような気がしている。なぜそうなったか?それは、メーカー側がいくつかの理想的な願望を、初期の頃よりはるかに強く持つに至ったためと考えられる。そのひとつに、マイツールを知らない人間でもマイツールを売れるようにしたいというものがある。かつて逆引事典を出版した直後、私にもそんな「夢のような販促物」の作成依頼がきたこともあったが、能力不足ということで立ち消えになったことがある。この運動のときも販促資料やパンフを作るときの最大のポイントは、普段マイツールも知らずにマイツールも使っていないエリアセールスや飛び込みセールスに、どうしたらマイツールの良さを説明させることができるかにあった。しかし、そんなパンフが作れるはずもないし、たとえそんなパンフがあって説明できたとしても、誰も新規に買ってはくれないのである。すでにそんなマイツールの売り方ができる時代は終わっていたのである。「良いものが使われるのではなく、使われているものが良い」とする風潮が定着してしまったパソコン業界との関わりを、みずからの意思で断ち切り、前述してきたような独善的なメーカーの怠慢から売れる市場の創出をみすみす逃してきたマイツール陣営にとって、あまりにも虫の良い売り方であることに誰もそのとき気付かなかったのだろうか?
 そのひとつに、マイツールを使っていない人間でもマイツールを教えることができるようにしたいというものがある。これはどこのパソコン教室でもこの傾向にあり、パソコン実務体験の豊富なおじさんよりきれいな若い女性インストが好まれるのは、現状ではまだ利用技術より操作技術の習得を目的としたユーザーが多いためである。それは、キュウハチの世界のレベルがまだいろいろなソフトを走らせること自体がパソコン利用の目的ということもあるが、マスプロ的に、画一的に、マニュアル的に効率良く学べるシステムに、ユーザーを囲い込むことで、スクールとしての採算点を上げる必要性もあるからである。「何をしたいかはユーザーさん自身がたくさんあるパッケージソフトの中から自分で選択してください。ここではその動かし方のみを教えますよ」というのが、これからNECが全国展開を目指している「PCカレッジ」の自動車教習所方式のスクールなのである。しかし、マイツール陣営の当初はマイツール一本できたために、インストラクターは自分が使っていなくてもユーザーフォローというプロセスを経て、中途半端な使用体験に優るノーハウを蓄積することができた。ワープロ体験もない初心者を悪戦苦闘しながらフォローしてきた当時の女性インストは、スクールでもマニュアルのコマンドを機械的に説明したり、イライラしながらキーボード操作を教えなかったに違いない。レベルに合わせて相手を思いやる教え方を、ユーザーフォローを通じて体得していたからである。マイツールの教え方も人それぞれプラザごとに、個性的でユニークな「仕事そのもの」を教えるものであったような気がする。そんなプラザのスクールも、残念ながら「20万本の証明」運動を展開した時期には、マイツール以外の市販ソフトも扱い始めた過渡期と重なったため、まさに巷のパソコンスクールと同様に単にマイツールの操作技術を教えるだけのインストレベルに落ちてしまっていた。決して人の資質が落ちたのではなく、新人教育で学ぶのがマイツールだけでよかった時代と大きく変化してきていたからである。情報専門学校を出たばかりの若い専任セールスは、マイツールセミナーの感想文で「こんなセミナーは時間の無駄だけである。もっとMS-DOSや他のパッケージの勉強会をやってほしい」と平気で書くまでになってきた。なぜかマイツールのベテラン社員をどんどん配転させていったのも、この運動と前後していたような気もする。
 そのひとつに、あまりマイツールに触れなくても仕事ができるようにさせてあげたいというものがある。キーボードによるコマンド手入力よりマウスによるプルダウン、オートよりパッケージソフト、「E」 「EC」入力より「EF」 「DF」入力、さらには名刺読み取り機やバーコードで入力のスピードアップ等々、省エネと効率化があまりにも前面に押し出され始めたため、マイツール特有の暖かみのあるほのぼのとした売る側と買う側とのふれあいが薄れていった気がしてならない。マイツールを通じてお互いを高めていこうとする本来の理想から外れ、まるで売らんがなだけの露骨な運動という印象を受けたのは、私だけだったのだろうか?粗利の大きい商品がみすみす激減するのを、指をくわえて黙って見過ごす手はないという発想だけで、この運動が企画されたものではないことを深く信じてやまない。これからは「商品に知慧と知識を付けて売る」まさにマイツールの時代なのだから。


《マイツールこだわり人生(9)》

マイツールの消滅する日について話してみたい  逆引事典の佐藤 雅栄

 私のマイツールに対する熱い思い入れを、充分くみ取ってくれて補足のフォローまでしてくれた前号の森谷氏には深く感謝したい。来年は是非、PIPS/MTの歴史を私なりにまとめて、本号への投稿を通じて時系列にシリーズ化させていきたいと思っている。この先の将来のことを考えると、何らかのかたちで文章に残しておかねばという強迫観念にも似た気持に襲われている今日この頃である。
 先日地元ディーラーの販促フェアを覗いて、マイツールの新型マシンをちょっとだけ触る機会を得た。外見を見た第一印象は、新製品なのに従来のハードより安っぽく見えたことである。PSマシンほどではないが、コストダウンに苦労しているなという印象である。本体は元より、テンキー、マウスも皆安っぽく、デザインもいまひとつであった。確かにM4の最新バージョンが搭載され、ハードも60メガと5割アップ、CPUが486でスピードも2.5倍とかで、リース切れ直前の既ユーザーにとっては多少の魅力かも知れない。実際の値段も気持安くなっているという話ではあるが、安っぽい割りに個人ユーザーにとっては、相変わらず車を買うかマイツールを買うかの選択を迫られる値段であることには変わりない。技術革新のテンポからいけば妥当な線なのだろうが、業界の激変を無視して、過去からの延長線上で我が道を行くスタイルを頑固に守っている「マイツール軍団」は確かに見上げた根性と言える。願わくば、将来的にもこの頑固さは是非貫き通してほしいものである。特に今年は、マイツール発売10周年の記念すべき年だそうだが、決して体を張って決断する人間がいなかったための結果が、この中途半端な新製品であったなどとは信じたくはないものである。それにしても、フェア会場を案内してくれた営業マンが最初に私を連れていった場所が、マイツールの新製品ではなく、ウインドウズ上で走る最新ソフトの紹介だったのには、時代の流れを感じてしまった。
 高機能最速マシンに対応するウインドウズの最新バージョンが、日本で2万円を切って発売されたときは、マイクロソフトがしたたかな計算で画策したパソコンソフト世界標準化戦略だとすぐ理解できた。ビルゲイツがNECとアスキーのトップを、左右に従えて新製品発表した時期は、アップルのマックが日本で最盛期のときであった。もともとマイクロソフトのウインドウズは、一時訴訟問題に発展したこともあるほどマックDOSとそっくりで、初期画面だけを見ているとマックの画面と勘違いするほど良く似ている。つまり、この値段は何を意味するのか?それは「あなたのマシンが2万円でマックになる」ことを意味しているもので、その結果のアップル囲い込みをも意味しているものである。そのため、マイクロソフトに仕掛けられて米国本土では既に頭打ちとなり、日本でも青息吐息となっているアップルがどんな反撃にでるか、今後の成り行きが興味津々といったところである。このようにプライシング戦略というものは、明確な企業トップの経営意思を反映して、特にパソコン業界のような不安定な市場形態では、素早くダイナミックに再編する力を持ってしまうことがわかる。そんな中で、マイツールも2万円を切ってオープン化すべき時期にあることを真剣に検討すべきなのである。なぜなら、国産唯一の言語型ソフトとして、人にやさしいオブジェクト指向のヒューマンランゲージとして、世界標準にふさわしいパソコンソフトとして、デビューするためのハード性能と価格環境が整ってきたからである。しかし、残念ながら供給者側のトップには、「マイツールがウインドウズに匹敵するほどの次元で存在するパソコンソフト」という現状認識はまったくない。それどころか「古いバージョンのプログラムFDをお持ちのユーザーには半値で新バージョンのマイツールをお売りします」などと、まるでマガスのユーザー優先割引販売のときのような、姑息な内向きの商売しかできないでいる。そんな人達に、パソコン生活の未来やグローバルな世界戦略の発想など期待する方が、所詮無理な話なのかも知れない。
 《これはExcelや1-2-3といったそれ以前の表計算ソフトとは異なる、新しい概念で設計されている。新規作成されたワークシートは、きわめてシンプルで、これに縦、横のItemを追加していくことで作表していく。計算もセルアドレスを経由せず、直接「数量*単価=金額」のような項目による計算も可能となっている。表と式を別に扱い、表の形式を自由に変えることができるセルアドレスのないまったく新しい表計算ソフトと言える》
 ようやくマイツールのコンセプトが、正当に業界から評価された記事がアスキーというパソコン雑誌の9月号に掲載された、とは言ってもマイツールそのものの記事ではない。ムーブの市成氏より見せてもらった「Lotus Improv」という最新ソフトの紹介記事の一部である。日本にはPIPSを始めナイルなどマイツールに似たパソコンソフトはいくつかあったが、米国には私の知る限り今までは存在していなかったように思う。それがついにと言うか、ここにアメリカ製のマイツールが登場してきた訳である。当然マイツールオタッキーの私にとって、この記事は注目に値すべき大事件なのである。とうとう馬鹿なアメリカ人が、マイツールの良さに気付いたのかも知れない。そうなると、日本製というだけで見向きもしなかった日本のパソコン知識人(アメリカ崇拝主義者が圧倒的に多い)が、アメリカ製というだけで、マスコミとつるんで一斉にヨイショし始める恐れもでてくる。そうなれば、最先端ソフトとしての業界での話題を聞きつけて、いよいよ貪欲なマイクロソフトのビルゲイツが乗り出してくる日もそう遠くない。果たしてその日が、マイツールの消滅するXデーとなるのだろうか?
 拙著「逆引事典オート編」の序文でも少し述べたが、もともと表計算ソフトの成長過程は、PIPS/MTとの相乗効果の歴史と言っても過言ではない。PIPSと似たようなタイミングで誕生した表計算ソフトの原点である「ビジカルク」は、本当に最初は再計算だけが売り物のシンプルなビジネスソフトであった。しかし当時のパソコンがその再計算機能だけで、実務の世界に飛躍的に浸透していった事実も否定できず、PIPS側もその便利さをすぐ認め、あわてて現在の「SIM」コマンドにあたる再計算機能を追加していった。そのため、「擬似ビジカルク」が多数生まれた日本でも、自動実行機能を有するPIPSがまだ総合的には優位な立場を維持することができていた。しかし「マルチプラン」から、マクロと呼ばれる自動実行処理機能を追加して対抗してきた時期から、PIPSの優位性が崩れていった。これで多少複雑な事務処理もなんとかこなせる目処がつき、プログラミングというコンピュータ的な知的欲求も満たせるソフトに成長していたからである。さらに、「ロータス1-2-3」になってからも、グラフ機能の追加やデータベース機能の充実で、一応経営的なニーズにも耐えられるかたちに整えられて、「できる機能」ではマイツールを完全に逆転していった。やさしさを前面に出した「ファンクション誘導方式」による画面操作も、いつしかマイツールのような「機能別のことば」に集約させたコマンド化へと転換させていった。二次元の表計算だけの機能から、三次元のクロス集計やクシザシ計算もできる機能も負けじと追加させてきた。そして今、かたくなに守ってきた表計算ソフト特有のスプレッドシートの概念を捨てようとしている。あと残されているものは、私のような馬鹿な文科系に相性の良い「ページの概念」だけになってしまった。その変換の時が本当のXデーなのか?


《マイツールこだわり人生(10)》

マイツールの正しい売り方について話してみたい  逆引事典の佐藤 雅栄 

 何事も継続させていくことは大変なことである。当然のように毎月送られてくるものが、なかなかこなかったりしたら、だんだん気になるものである。マイツールを取り巻く環境がどんどん悪くなり、思い入れやこだわりが切れ掛かってきているのは、どうやら私だけではなさそうだ。月1回の「はぁとうぇあ」が送付されてくるのを、心待ちにしているのは私以外にもいると思うので、福田氏には、是非マイツールに対する情熱を切らさないように、これからも頑張ってほしいと思う。
 現状のマイツールの売り方について、ネガティブで批判的なことばかり書いてきたので、たまにはポジティブで建設的な意見も述べて見たい。誰かが「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言っているように、まず「SORDのPIPS」の誕生と消滅の歴史をメーカートップ全員に研究することをおすすめしたい。マイツールに関わっている人達にとって、SORD社倒産の教訓は、今後のマイツール販売を企画する上でも役立つことは非常に多いと思う。ついでにOEM供給を受けて「トークPIPS」なるものを販売していたゼロックス社に、ご教授願うことも大いに参考になることだろう。どうやら最近でも「うちも昔はエライ目に合いましたよ」と、マイツールユーザーを訪問した際、今のリコーさんに同情していた同社のベテラン営業マンがいたらしい。
 マイツールを消滅(ツール型ソフトは今後マイツールのようなコンセプトになっていくが、商品名としてのマイツールは消滅するという意味)させないためには、次の3つの販売方法を戦略的に戦術的に大胆にかつ緻密に、同じタイミングで速やかに実行しなければならない。その一つ目は当然のごとくNECのキュウハチ・パソコン業界をターゲットにしたパソコンソフトとしてのオープン戦略である。これで「俺のマシンで走らないソフトは無視」というタチの悪い理由なき嫉妬心はなくなり、マイツールそのものが「業界のメシの種」として注目され出す。その二つ目は一般大衆・マスコミをターゲットにした文化論的教育論的パソコン言語としてのワープロ戦略である。「読み・書き・マイツール」というくらいのやさしさと安さを前面に出して、「皆んなが使っているから私も使う」という横並び意識を創出する。その三つ目は従来のバンドリング方式と専用化高級化路線をもっと徹底的に推し進めた、データ加工中心を指向したビジネスマシン戦略である。差別化販売により既存ディーラーの不安と不満をなくし、現体制下でのマイツールビジネスを今後も可能にする。なにもこれらを遂行するためには莫大な予算と労力を必要とする訳ではなく、体を張って決断する勇気と頭の切り替えがあって、ちょっと気の利いた企画力と仕掛けがあればすぐにでも実行キーが押せる簡単な内容なのである。
 まず一番目のオープン化戦略である。「簡単にオープン化といっても並大抵のことではない。なにしろキュウハチだけでもハード仕様からキーボード配列まで種々雑多で、それぞれに対応させたマイツールを出すことなど大変な作業だよ」とメーカーのエライ人からできない言い訳を聞いたことがある。どうも基本的な考え方に私はかなりのズレを感じてしまった。「マイツール軍団」の悪い癖は、いまだに関連する利益は独占していたいという体質が抜けきらないようで、オープン化のための準備は全て内輪でやらないと気がすまないらしい。ファミコンの任天堂のようにクローズ戦略をとっても、へいこら小判鮫商法で群がってくるマーケットならいざ知らず、マイツールの現状は「お願いして使ってもらう」状況にあることをしっかり見据えてほしいものである。NECが育てた全国にある二千社近いソフトハウスをうまく利用すれば、そんな問題はすぐ解決するはずである。「このソフトを安くお分けいたしますから、貴社で扱っているマシンで走るように自由に改良して売り出してけっこうです」とやれば、不景気な時代でもあり、物好きな何社かはすぐ乗ってくるだろう。そうすればいろいろなバリエーションのマイツールが発売されるかも知れない。技術計算用マイツールにCAD用マイツール、さらにはマイツールで作成された様々なパッケージソフトも売り出されるだろう。いろいろな世界の人達がマイツールに触れる機会を作ってあげることは非常に良いことで、突然のライバル出現にECOSも刺激されて切磋琢磨することだろう。マニュアル作成やユーザーフォローも全部彼らに一任すればよい。コマンド教育やオート教育も自由にやらせればよい。そうすればパソコン雑誌にも広告を掲載するようになり、マイツールがマーケットとして存在し始め、パソコン雑誌も記事として取り上げざるを得なくなることだろう。こうしてマイツールの知名度は深く静かにパソコン業界に浸透していくことは間違いない。そのうちエクセルで作った表を「R」で読み出して、「P」で印刷できるようにするソフトハウスも出てくるかも知れない。そんな複合ソフトがあったらさらに楽しいことだろう。但し、あくまでもオープン化するマイツールのバージョンはM2レベルに留めてほしいということである。低価格で差別化するための条件ということもあるが、「どうせ連中には違いなんかわかるはずはない」という既存ユーザーの優越感を私自身も感じていたいためである。
 次は二番目のワープロ戦略である。これは端的に言えばマイツール人口を増やすための戦略である。そして究極の目的は、学校教育にマイツールを取り入れさせることを可能にすることにある。しかし、現状のマイツールを取り巻く環境下では、万が一その良さを認識して採用したいと感じた勇気ある学校関係者は、即刻クビを覚悟するか変人扱いされるのが落ちである。そんな悲劇を防ぐためにも、まず手始めはマイリポートに搭載させることである。「ED」を含めた基本的なコマンド50個程度を使えるようにすればよい。あえて安物のマイツール専用機を出す必要はないだろう。ルポに内蔵されたロータス1-2-3をイメージすればよい。テンキーが内蔵されているマイリポートつまりウィズミーでうまくいけば、各メーカーのワープロ専用マシン用に安く(ここが大事)提供してあげればよい。書院や文豪や電子手帳にとにかく何でも中にマイツールが内蔵されている環境を作ってやることが大切である。そうすれば必ず名簿を作成するときはマイツールを自然にユーザーは使うことになる。なぜならやさしいからである。ワープロで名簿を作った経験のあるマイツールユーザーなら、このやさしさはすぐ理解できることだろう。こうしてマイツールを使い始めたワープロユーザーは「ML」や「CF」 「DL」を、日常のことばとして自然に覚えていくことができる。いつもデータを加工するときには、当然のようにこれらのコマンドを誰もが使っているという状況が作り出され、マイツールが大衆レベルに広く深く浸透していくことになる。ここまできてようやく学校教育用のパソコン言語として、取り上げられる下地ができたことになる。マイツール言語は「MC」や「DC」によるデータ加工用ソフトとしても、ソートやサーチによる情報処理用ソフトとしても、オートプログラムによるアルゴリズム教育用ソフトとしても、最適な教材になりうる可能性を持っている。現在の学校教育用パソコンのハードは既にキュウハチが占領しているが、ソフトはまだ何にするか迷っているのが現状のようだ。いつ古くなるかわからないプログラミング言語や一時の流行でしかないウインドウズやマックを教えてもしょうがないことに気付いているからである。そんな中でマイツールはデータ処理用言語としてはまだ十数年普遍的な生命を持つ予感がある。巨大マーケットを前にして、指をくわえての傍観者をやめて、積極的なアプローチを期待したいものである。                              (以下次号)


《マイツールこだわり人生(11)》


引き続き正しい売り方について話してみたい    逆引事典の佐藤 雅栄 

 マイフレアなるパソコンソフトを見る機会を得た。ちょっと見の印象としては、「GED」の親分が出てきたという感じである。確かに、これまで表とグラフとワープロ文書を合体できなかった、マイツールの弱点を補完するための、編集用ソフトとしての位置付けなら、りっぱにその存在価値はあるだろう。しかし、「時代遅れのマイツールより、易しくて使いやすいパソコンソフト」という、さも「マイツールの代わりにどうぞ!」と言わんばかりの販売スタイルには、一抹の不安を感じる人も少なくない。なぜなら「こだわり人間」にとってこのソフトは、プレゼンテーション活用がパソコン利用の最先端だと思っている最近のパソコン業界の風潮に煽られて誕生した、何のコンセプトも持たないただの流行後追いソフトに見えるからである。とは言っても、売る側にとっては、言語教育が必要で手離れの悪い元祖マイツールより、マックやウインドウズのように、「できる機能」が豊富で、デモ効果も高く、話題性のあるビットマップコントロールソフトの方が、多少高くても一時的には売り易いのかも知れない。そんな、パソコン業界に媚びるように、迎合するように、安易な方向に流れ始めた最近の「マイツール軍団」に、「マイツールと同列に語ってほしくはない次元のまったく異なるソフト」などとこだわる人達が、社内に少なくなってきたのは悲しいかぎりである。マイツールが消滅するという危機的状況は、こんなソフトの出現でジワジワと内側からやってくるのだろうか?
 さて前号の続きで三番目のバンドリング強化路線である。これは徹底した専用マイツールマシン戦略である。従来の延長線上での発想をさらに推し進めて、多少高めに設定された最新バージョン搭載の高機能高級マシンを、用途別にラインナップすることだ。大事なことは、マイツール専用キーボードにこだわり続けることである。法律的に可能かどうかわからないが、ソフトをオープンにした後でも専用キーボードだけはクローズにして、キュウハチマシンと差別化できるようにしておくことだ。つまり「マイツールを使うなら専用マシンに限る」状況を創ってしまえば良い訳だ。そうすれば、「多少高くても憧れの専用マシンへ」という流れが自然にできてくる。そのためにも、現実的に満たされていない幅広い顧客ニーズにも十分応えられる組合せを、プリンターや周辺グッズも含めてデスクトップ・ラップトップ・ノートタイプの3段階チョイス程度で、納得価格で提供できる受け皿づくりをしっかりやっておくことが大切だ。オフコン代用の業務マシンからワープロ代用の個人マシンまで、くれぐれも、現状のような中途半端な商品設定を絶対しないことだ(たとえばCPUもSXなどとケチらずDX2にするように)。かつて10年前マイツールが発売されたときは、どこのパソコンメーカーもまねができないものがあった。それはカラーモニターを当然のように標準装備させていることであった。それが他社との差別化にもなり、売る側も買う側も「高いマイツール」に当時はそれなりに納得するものがあったものだ。残念ながら、今それに代わるものはない。
 そして次は、「言語型ソフトとしてのマイツール」を正面からしっかり見据えることである。しかし、この当然のような本来の姿を認めることが、売る側にとっては、なかなか難しい問題でもある。なぜなら「このソフトは買ってもすぐには使えません。仕事に使う前に、コトバを覚えてあなたの会話レベルを上げて下さい」と売り込みのときにわざわざハンディのあるソフトであると、顧客に言う必要があるからである。それでも10年前の発売当初は、そんな障害を跳ねのけてもこだわるエネルギーを持っていた気がする。かつて、名簿データから一生懸命ソートやサーチをしているリコー役員達のマイツール勉強風景をテレビニュースが紹介していたことがあった。それを見たときは「いい雰囲気だな」と輝かしいマイツールの未来を思い描くことができたものだ。残念ながら、「買ってすぐ使えるマイフレア」を売り出そうとしている今、このこだわりへの情熱を感じることはできない。
 安売り体質が身に付いてしまったパソコン業界の中で、あえて差別化して生き残る道は、再度マイツールを「パソコンソフトの中で、唯一国産オブジェクト指向の高級仕事言語である」と明確に位置付ける努力をすることである。ハクをつけるためには、若干の根回しも必要かも知れない。評論家や大学教授にもマスコミで論評してもらうように働きかけても良い。多少の出費を覚悟で、プロにロビー活動を頼んでも良いだろう。マイツールにはそれくらいのことをする本物の値打ちはある。とにかく「勉強してでも自分のものにする価値のあるパソコンソフト」としてのイメージづくりをしっかりやっておくことだ。そうすれば、マイツールマシンを買った客は、今とは逆に自発的にマイツールソフトの独学の道を選択するだろう。学びたいという需要が創出されれば、どんな田舎の書店に行ってもロータス1-2-3よりマイツール関連書籍が多いという風景が現出する。まさに現状のパソコン業界の枠の中に、自然に入っていくことができるのである。そのためにも、全国のOAプラザはつぶさず残し、逆にスクール体制とともにもっと充実させるべきである。この10年間蓄積された先行ノウハウを余すところなく発揮する良いチャンスにするのである。もちろん社内的にも、デミング賞を狙うときのTQC推進運動のように、全社員マイツール再教育運動を展開させていく。さらにマイツール相談室の質的量的充実を図り、業務相談やクレーム処理にそなえて全国横断的なネットワークを再構築しておく。 (本来のMUGの存在理由はここにあった)
 一方、巷のパソコン業界では既に前述した二つの戦略が着々と進み、オープン化されてキュウハチマシンやワープロマシンでマイツールソフトを、少しでも走らせてしまったアチラ側のユーザーにとって、マイツールはまさに禁断の果実を食べたアダムとイブ、大臣の椅子を手に入れてしまった社会党議員のようなものである。ゲームで遊ぶかマウスによるアイコン操作で仕事のマネ事をしていたキュウハチユーザーに、データの加工どころか入力も思うにまかせなかった日頃のパソコン利用の世界が、夢のように大きく広がってくるからである。「そんな大げさな」と感じる人も多いかも知れないが、両方の世界を知っている数少ない人達は、納得しながらもさもありなんとうなずくことだろう。ここまでの仕掛けと社内での受入体制が整えば、あとは待つだけである。日頃はまったく縁のなかった他社ユーザーが、プラザやショールームに足を運んだり、問い合わせの電話が殺到するだろう。かつてPIPSユーザーや西研ファンが、皆リコーに注目しだした10年前のあの異様な熱気の再現である。そして、マイツールファンになり、リコーファンになっていったのである。確かにマイツールは、手離れの悪いアフターフォローの大変なパソコンソフトかも知れない。逆説的に見るとそんなマイツールは、リコー取り扱い商品の中で「理由を作ってお客様と親密になれる唯一の商品」であることも忘れてほしくはないものである。良かれ悪しかれ注目されている内が華なのである。
 これまでマイツールに関わっている社内外の良識ある人達から、納得できるオープン化への反対意見を聞いたことがない。逆にオープン化することにより、得られるであろう数多くのメリットについては、誰彼となく何回も語り尽くされてきた。オープン化反対の明快な理由がないままオープン化できないでいるのは、オープン化検討が、なんらかの理由で組織の中でタブー視されているのだろうか? 誰もこの答えを教えてくれないので、このシリーズもひとまず終わりとしたい。